傷だらけの悪魔 感想22 雑談編②<私はちはるとつきあうならちはるの過去など気にしない>

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COMICOで連載中の『傷だらけの悪魔』の感想、雑談編②です。

最近の連載では舞は中学生時代の友人であり、小田切(玖村)詩乃の虐めの主犯格の「神谷ちはる」と決別しました。

COMICOのコメント欄を読んでると「まだ舞は反省がたりない」とか「しっかり謝ってからじゃないとまだわからない」とか 「心の中で馬渕さん(東京でちはる達に虐められてる子)のことを”デブス”と言ってるから全然変わってない」等々、言われています。

※以前に比べて舞批判は激減しているので、批判してるのは一部の人です

果たして元虐めっ子を批判しつづけることが正しいことなのか考えてみようと思います。

最近のコメントではありませんが「一度でも虐めをやったことがわかったら完全に気持ちがひく、その人はずっと友達なんかできない」なんてのがありました。

ありえるでしょうか? ありえませんね。

殺人犯だって友達でも恋人でもつくって楽しくやっています。

それがいけないことでしょうか? 「いけない」と言う人もいるでしょう、私も「殺人犯が面白楽しく生活している」ことには抵抗があります。

でも、殺人犯だって生きてるわけです、生きてたら面白いことだってあるでしょうし、生きてる以上は自分で生きる意志を持って 楽しみだってみつけるべきではないでしょうか?

「生きてる以上は楽しみをみつけるべき」これはどんな悪党にでも言えると思います。

では元虐めっ子はどうでしょう? 私個人的なことを言えば、元虐めっ子が彼女になったとしましょう。 (神谷ちはるが私とつきあったとしましょう)

たぶん過去のことは全く気にしないです。

詩乃が自殺して死んでしまったとしてもです。

ちはるが全然後悔をしていなかったら「怖い」と思って逃げ出すかもしれません。

あ、そうだ、さっき「人殺しでも楽しく暮らすべき」と書きましたが 私は人殺しと交際はできないと思います。

怖がりなんですよ(笑)

自分も殺されそうな不安から、たぶん交際に至らないでしょう。

「人殺しが幸せを追求することは是か非か」という問題とは別問題です。

話を戻します。

ちはると私が交際していて、詩乃が自殺している仮定です。

ちはるは詩乃に謝罪してませんし、お墓にも参ってません。

私はたぶん「もう忘れろよ」と言うような気がします。

酷いですか? 酷いですよね。

でも私は神谷ちはるも生きていかないといけないと思います。

そして生きてる以上は「面白く」です。

詩乃にはあの世でまた会える機会があればいいなと思います。 私ではなくてちはるが。

それから「謝れ」という言葉なんですが 謝罪って「謝って欲しい人」のタイミングでしてもらえるって何かおかしいと思うんですよ。

「謝りたい人」のタイミングです、そうでないと”心から”にはなりません。

話をちょっと変えますが 舞が詩乃に謝るのは舞のタイミングでいいと思います。

出会ってすぐに謝ったりしなくて良かった。

人の心がいろんなことが納得できるまでは時間がかかります。

納得して詩乃に「謝りたい」と思わずに出た言葉に意味があるでしょうか? 「人間関係を円滑にするため」には意味があるでしょう。

でも、詩乃は「舞と円滑な人間関係を築きたい」わけではありません。

「あの時どうしてアナタは私を無視したの?」と言いたいでしょう。

答えはだいたいわかってます 「玖村は虐められっ子だし、ちはるに自分が目をつけられるのが嫌だったし、玖村に興味がなかった」 くらいの話でしょう。

「だけど知らんぷりをするべきじゃなかった、ちゃんと考えるべきだった、ごめんなさい」 かな・・・

(何と言えば正解なのかわかりません)

まあ、詩乃は納得なんかできないでしょう。

謝られたことで余計に怒り出すかもしれません。

そうなったらもう詩乃のことは人間関係として切り捨てていいと思います。

舞もいつまでも過去にとらわれずに生きていかないといけません。

それから「舞がずっと詩乃に謝れなかった場合」も考えましょう。

謝るタイミングが死ぬまで訪れなかった場合。

私はそれでもいいと思います。

あの世で謝りましょう。

詩乃にとっては酷い話ばかりかもしれません。

もちろん詩乃だって生きていかないといけません。

「世の中は残酷なんだ」と理解して生きるしかないでしょう。

全ての人が「自分だけが辛い想いを一身に浴びせられてる気分」になっても それでも生きていくべきだと思います。

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